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STRUGGLE for PRIDE

2011年にJリーグへ加盟し、今年2015年に初めてJ1ステージに躍り出た松本山雅FC。
澄み切った信州の空へと突き刺した拳に握られているのは、グリーンのタオルと気高き誇り。
だが、ここまで快進撃を続けてきた新参がJ2降格線上の窮地に立たされている。
“ターミガンズ”を愛し、「12」を背負うサポーターたちの加勢で、このジレンマを振り払うことができるだろうか……!?

PHOTOGRAPHY by MASAHIRO SANBE|TEXT by SENICHI ZOSHIGAYA

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——————— 23th MAY (sat) 16:00

一台の飛行機がほとんど水平にゆっくりと高度を下げながら、バックスタンドを照らす照明の真上を左から右へと横切っていく。その様子をメインスタンドの記者席からぼんやりと眺める——。

まだ客入り前の誰もいないスタジアム。ここは長野県松本平広域公園総合球技場、通称『アルウィン』。県営松本空港に隣接したこのフットボール専用スタジアムは、滑走路が至近に位置するため、周囲よりもピッチが10メートルほど低く掘り込まれた、国内では珍しい構造をしていることで知られている。そのため天候さえよければ、メインスタンドからは青く澄んだ空と一体となった雄大な美ヶ原の尾根を存分に拝むことができ、「山の都」の通り名にふさわしい、松本の豊穣な自然の恩恵を全身で浴びることができる。

この日19時から、昇格1年目の松本山雅FCは横浜F・マリノスをホーム『アルウィン』に迎え、J1ファーストステージ第13節を戦う。

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——————— 23th MAY (sat) 14:30

開場の2時間半前。スタジアム周辺はすでに多くの松本山雅FCファンで賑わっていた。深緑のユニフォームを身にまとった人々は、まるで近所の公園へとピクニックでもしに来たかのように、芝生に腰を下ろし、談笑したり、持ち寄った弁当をつついたりしながらそれぞれの時間を過ごしている。子供からお年寄りまで、その年齢層はじつに様々。梅雨入り前の気持ちいい気候のせいもあってか、試合前だというのにその光景は牧歌的で、やや拍子抜けしてしまう。

「J1に上がってからサポーターの数はさらに増えました。みんな仲良く話しているので家族のように見えますけど、実はスタジアムで知り合ったサポーター仲間というグループも多いんですよ」

そう話すのは、松本山雅FCのサポーター集団「ウルトラス」でコールリーダーを務める小松洋平さん。試合前の準備で忙しい中、この取材のために時間を割いてくれた。公園内の木陰に逃げて話を訊く。

小松さんは大学生の時にスポーツ観戦学の授業を受けたことをきっかけに、松本山雅FCのボランティアへ参加し、以来、チームの魅力に取り憑かれて早10年になる。松本山雅FCが本格的にJリーグ昇格を目標に掲げ始動したのが、まだ北信越リーグ2部に所属していた2004年。そこから日本最高峰の舞台へと駆け上がるまでの10年間、小松さんはこのクラブに寄り添い、ともに歩んできた。

「初めて試合を観た時に感じたのはチームとサポーター、ボランティアの垣根がないということ。ゴール裏で声を枯らしてる人がグッズ販売のテントの設営をしていたり、スポンサーバナーを運んでいたり。運営もサポーターも、いい意味で渾然一体。僕だってマッチデープログラムを作ったりしてましたから(笑)」

地域密着型クラブ。Jリーグが掲げる理念のひとつを、これほどまでに体現しているクラブは他にない。この日も車でスタジアムへ向かう道中、民家の庭や軒先に松本山雅FCののぼりやフラッグが掲げられているのを何度も見かけた。スタジアムのあちこちでは、臙脂色のポロシャツを身にまとった地元のボランティアスタッフが、笑顔で声をかけてくれたりもする。

「先日、スーパーに寄ったら、まったくサッカーに興味のなさそうなおじいさんが、レジのおばちゃんに『今日、山雅の試合あるの?』って話しかけてて。そのおばちゃんも『2時からですよ』って、当たり前のように答えてるんです。どっちもすごいなって、驚きました(笑)。先週の神戸戦の時なんか、お年寄りのグループが『今日は応援が少ないね』『田植えの時期だからしょうがねえなあ』『いやあ、消防団の集まりがあるって聞いたぞ』なんて会話をしていて(笑)。地元の人が多いから、山雅がコミュニケーションの媒介として役割を果たしている部分も大きいんですよ」

とはいえ、クラブ史上初となるJ1のステージ。クラブにとってほとんど何もかもが「初体験」となれば、当然それはサポーターにとっても同じこと。クラブを取り巻く環境が急速に変わる中で、試合を重ねるたびに直面する様々な問題を小松さんはどう考えているのだろうか。

「サポーターが増えるにしたがって、スタジアムでの席取りやコンコースの混雑、応援の仕方など、難しい問題は出てきますよね。その対策をクラブがやるのか、我々サポーターがやるのか、っていう線引きも。J1に上がったことで過渡期を迎えているんだと思いますが、サポーターが自主的にクラブに携わっていく姿勢っていうのは、昔から受け継いでいる良い部分だと思っているので、そういうところは残していきたいですね」

クラブとサポーターがこれまで築いてきた、「ちょうどいい」距離感。その関係を崩さないように続けていければ、もっともっといいチームになると、小松さんは話してくれた。その表情に気負いや焦りはない。

「もちろんいい成績は残してもらいたいですよ。ただ、いきなりJ1に上がって優勝できるなんて考えるのは虫が良すぎますよ(笑)。今がすごくいい時だって自覚していますから。僕らはJ1にいて当たり前のチームだと思ってない。現場の選手や監督にJ1に上げてもらったから、今年はそれに対する恩返しを、サポーターがしていかないといけない。我慢する覚悟はみんな持っていると思います」

小松さんにもう一つ、聞いてみたいことがあった。それは今日の対戦相手——横浜F・マリノスについて。

「個人的には、F・マリノスをものすごく特別視しているってことはないです。ただ、どうしても松田さんの話は出てくるので……」

「松田さん」とは、かつて松本山雅FCに在籍した故・松田直樹のこと。W杯出場経験を持つ、日本を代表するディフェンダーとして長くJ1の舞台で活躍したのち、2011年に当時JFLだった松本山雅FCへ移籍。同年8月、練習中に急性心筋梗塞を患い帰らぬ人となった。その松田が松本山雅FCへやって来る前、16シーズンにわたって在籍したのが横浜F・マリノスだった。

『アルウィン』と熱狂的なサポーターに惚れ込み、当時、大きくニュースでも扱われるほど話題となった移籍を決断した横浜F・マリノスの象徴。「山雅をJ1に連れて行く」。そう決意を固めた男が、志半ばにしてこの世を去ってからおよそ4年が経った。それから信じられないようなスピードでJ1への階段を登ってきた松本山雅FCは、この日初めて、松田が目指した舞台で、彼の古巣と対戦する時を迎えていた。

感慨とも、興奮とも異なる特別な感情。どちらのクラブへも肩入れしない筆者にとっても、このカードにはやはり因縁めいた何かを思わずにはいられなかった。いや、筆者だけではなく、ほとんどのJリーグファンがそうであろう。背番号「3」のレプリカを着た両チームのサポーターは、いったいどんな思いで今日のスタジアムへと足を運んだのだろうか、と。

そうした背景もあって尋ねた質問だったのだが、小松さんの回答は意外なほどさっぱりとしていた。

「もちろん今日この場所でF・マリノスと対戦することに意味を見出している人はたくさんいると思います。でも、やっぱり楽しみだとかいう気持ちよりは、一山雅のサポーターとして試合には負けたくない。たぶん、他の人たちも同じだと思います」

今、目の前の試合に勝利すること。ありきたりな言い回しかもしれないが、どの選手も、サポーターも、同じ気持ちでこの一戦に挑もうとしていた。

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——————— 23th MAY (sat) 18:30

日本アルプスの尾根に沈んだ夕陽があたりを赤く染める頃、スタジアムには照明が灯り、ピッチと客席を明るく照らし出す。南ゴール裏とバックスタンド、メインスタンドまではほとんど緑一色に染まり、けたたましい応援の声が響き渡り始めた。

選手入場。応援のボルテージは一気に最高潮へと達する。チャントとともにサポーターが振りかざすタオルマフラーの緑海が、スタジアムを途端に“劇場化”させる。これこそが『アルウィン』の真骨頂。それに負けじと、北ゴール裏に詰めかけた横浜F・マリノスのサポーターも迫力ある応援で対抗する。勾配のある客席とピッチサイドの距離が非常に近いため、ひとつの箱のような形状をした『アルウィン』は、時間を追うごとに独特の異様な熱気に包まれていく。

かくして、キックオフの笛は吹かれた。

積極的な立ち上がりを見せたのは横浜F・マリノス。動きの硬い松本山雅FCの選手たちの裏を狙い、ロングボールを多用し相手陣内へと攻め込む。するとスコアは早速動く。8分、ゴール前の競り合いからルーズボールが流れると、右ポスト手前でアデミウソンがジャンピングボレー。スーパーゴール。ブラジルのホープが豪快にネットを揺らし横浜F・マリノスが先制に成功する。

その後も試合は横浜F・マリノスペース。左サイドの齋藤 学のドリブルから幾度もチャンスを作ると、31分にはその齋藤がドリブルでカットインしたこぼれ球を、中町が拾い右足を振り抜く。ボールはゴール左へと吸い込まれ追加点を奪う。

反撃に出たい松本山雅FCは、前線のオビナを目掛けロングボールを放り込むも、横浜F・マリノスディフェンスラインの中澤佑二とファビオが封殺。攻め手が見つからないまま前半を0-2で折り返すと、後半に入っても流れは変わらず。セットプレーなどで前線に人数を掛けるも、なかなか決定的なチャンスを作り出すことができない。後半45分には、藤本淳吾に鮮やかなミドルシュートを左足で叩き込まれ万事休す。結局、松本山雅FCは今シーズン最悪の出来ともいえる内容で、0-3の完敗を喫した。

それでも試合終了後のサポーターたちは、ピッチ上の選手たちに声援を送り続ける。決してブーイングをしないのが「アルウィン流」。その中心には、最後まで拡声器を片手に声を張り上げる小松さんの姿があった。

この日、『アルウィン』に詰めかけたサポーターは18,906人。クラブの最高入場者数記録を更新した。

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——————— 24th MAY (sun) 11:00

翌日、我々は松本山雅FCの大月弘士会長に取材するため、松本駅から車で20分ほどの場所にある『松本市かりがねサッカー場』へと向かった。天然芝と人工芝のピッチがフルコートで一面ずつ整備されたこの市営の運動場は、今年3月にオープンしたばかり。これまで複数の練習場を使い分けてきた松本山雅FCの新たな練習拠点としてだけでなく、クラブのアカデミーや近郊の小中高生たちの大会や練習にも利用されている。この日も、小学生のクラブチームの大会が開催され、『松本市かりがねサッカー場』は子供たちとその親御さんたちで賑わっていた。

その反対側の天然芝のピッチでは、前日のショッキングな敗戦から一夜明けて、試合に出場した選手たちがクールダウンを行っている。ジョギングをする集団の先頭にいるのは、チームの牽引役、田中隼磨。かつて横浜F・マリノスでプレーした経験を持つベテランは、松田を兄のように慕い、また松田も田中を弟のように可愛がる間柄だった。

それゆえ、試合後のミックスゾーンに現れた彼は、記者たちからの質問に「言葉が見つからないですね。悔しい。結果がすべてですから。切り替えるのが難しいです……」と、絞り出すのがやっとだった。

「実は試合当日の午前11時半に隼磨から珍しく電話が掛かってきたんです。『いろんな人の思いが詰まった試合でもあるので、自分も一生懸命やるぞと、その気持ちを伝えたくて電話をしました』と言われました。もちろん嬉しかったけど、そればかりに気持ちが入りすぎると硬くなるからサッカーを楽しめ、マツの分まで楽しめ、って。そう伝えました」

練習場に併設された会議室で大月会長への取材を始めると、ほどなくしてそんなエピソードを語ってくれた。そして、こう続けた。

「隼磨にしても、マツに恥ずかしい試合を見せられないって、相当な思いを持って臨んだ試合だったと思うんですけど、力の差が歴然としてしまった。チームとしても、クラブとしても、もっと地域を盛り上げ、収益も上げて、それをまたチームに還元できるようなかたちで貢献しなければ、と改めて思った試合でもありましたね」

前夜の試合を終えて、J1のリーグ戦は年間の約3分の1を消化した。J1昇格1年目の松本山雅FCは、第13節を終えて勝ち点15の14位(5月24日現在)。J2から上がってきた勢いそのままに前半戦では勝ち点を拾ってきたものの、そろそろチームもサポーターも、客観的に自分たちの実力を見定められる時期に入った。ここから下降線を辿って、気がつけば降格圏で争うようなことになるのではないか。そうなれば、現在のフィーバーがどこかでプツンと途切れ、松本山雅FC特有の選手やクラブ、サポーターの関係性が崩れることにつながるのではないか。そして、そういった危機感についてどう考えているのか。率直に、大月会長へと疑問をぶつけてみた。

「現在の戦いの舞台はJ1ですが、J2時代から、いや、クラブがJリーグ昇格を目指した10年以上前から、サポーターも我々もやっていることは変わらないんです。地域のために、サポーターのために何ができるか、いかにしてクラブを成長させられるかを考えて行動しています。3年というスピードでJ2から昇格してきて、すべてをJ1仕様に整えることはできない。ましてや、親会社のいない市民クラブですから、練習・育成環境を含め、まだまだ課題が山積みです。そこは当然、これから改善していかなければならない。でも一番大事なのは、今のクラブは我々が作ってきたものではなく、サポーターやボランティア、スポンサー企業までを含めた『山雅ファミリー』が作ってきたものだという共通認識があることなんです。クラブがすべてをやるのではなく、できない部分をみなさんに手伝ってもらう。そこが他のクラブとは違う、山雅スタイル。真の市民クラブの形だと思ってます」

ふと、思い出したのは、昨日の小松さんの言葉——現場の選手や監督にJ1に上げてもらったから、今年はそれに対する恩返しを、サポーターがしていかないといけない。我慢する覚悟はみんな持っていると思います。

クラブがサポーターやボランティアに、サポーターやボランティアがクラブに、何かを課したり要求したりするのではなく、互いが歩み寄り、互いのおこないを尊重する。あらゆる場面に張り巡らされるそうしたコミュニケーションの態度が、『アルウィン』を包み込むアットホームで、ホスピタリティあふれるもてなしの態度につながっている。一見緩やかに見える連帯が、じつは長い目で見ると、強固な関係性となって結実している。たとえ負けが込んでいたとしても、試合ごとに観客が増え続けている理由は、松本山雅FCが醸し出す人柄ならぬ「クラブ柄」ゆえ、なのかもしれない。

「山雅のゴール裏って特殊で、女性や子供、お年寄りまでスッと入ることができるんですよ。70歳過ぎのおばあちゃんが飛び跳ねてるのを見るとさすがに少し不安になりますけど(笑)、応援の仕方も隣のサポーターに丁寧に教えてもらえるから、楽しいんでしょうね。よく、お年寄りが多いクラブは成長戦略が組みづらい、なんて言われますが、うちに関していえば、年配のサポーターが子供や孫を連れてくるから『3世代で楽しめる』ということがひとつのストロングポイント。スタジアムではお孫さんにグッズを買う年配の方がたくさんいますし、そのお孫さんたちが新しい世代のサポーターに成長していってくれるかもしれない。若い世代ばかりに注力するのではなく、山雅らしい地域性を打ち出して、ちゃんと地元のニーズに応えていくことが基本作業なんですよ」

まるでJリーグが始まったばかりの頃にも似た、サポーターたちの初々しさと応援することへの純粋な喜びや楽しみ。20年の歴史を積み重ねてきたJリーグにおいて、今こうしたクラブがJ1の舞台に現れたことを嬉しく思うのは、筆者だけではないはずだ。かつて松田直樹が、あるいは現在のチームで戦う田中隼磨や反町康治監督がそうだったように、長く日本サッカーに携わってきた男たちを突き動かすだけの新鮮でプリミティヴな魅力が、松本山雅FCには備わっているのだ。

「地域クラブの星、みたいに語られることがありますが、それはもっともっと成長した時に初めて言えるもの。まだ我々は発展途上ですよ。健全経営を続けながら、育成もしっかりやって、素晴らしい選手を輩出できるクラブになる。そして将来的には街の中に多機能複合型スタジアムを作って、松本の賑わいを広めたいんです」

松本の人々の夢を背負って、松本山雅FCは未来への道を歩み続ける。挑戦はまだ始まったばかりだが、それを不可能だと笑うものは誰もいない。

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